東京都内にある泉岳寺に行ってきた。赤穂浪士のお墓参りができますよ。

 

こんにちは、つかっち(@tukatti7772)です。

今日は寺レポを書きます。先日、東京にある泉岳寺に行ってきました。

 

 

泉岳寺は曹洞宗の寺院で、1612年に徳川家康が門庵宗関和尚を迎えて開山しました。

この門庵宗関和尚は今川義元の孫にあたる人物で、家康が寺を開いた目的は、

今川義元の菩提を弔うためであったそうです。

家康といえば幼少の頃に今川義元の下に人質として出されていたことは有名ですが、

幕府を開いてから、色々と思うところがあったのでしょうか。

 

 

また最近知ったことなのですが、泉岳寺には赤穂浪士の墓所があります。

現在ではこのことで有名になっているのではないでしょうか。

あまり大きな寺ではありませんでしたが、赤穂浪士のお墓参りに来られている方も多かったですね。

 

 

最寄駅は京急電鉄の泉岳寺駅です。京急品川駅の隣の駅ですね。

駅を出てゆるやかな坂道を登ること約5分で到着します。

 

下の写真は泉岳寺の手前から撮影したものですが、

奥に写っている交差点付近が泉岳寺駅の出口です。

落ち着いた雰囲気の場所でしたね。

 

 

 

泉岳寺に入って少し進んだところでは、

赤穂浪士や忠臣蔵にちなんだ土産を売っているお店が立ち並んでいます。

 

 

 

 

最近はNHKで忠臣蔵の恋というドラマもやっていましたし、

お土産に買って帰る人も多いのではないでしょうか?

 

もう少し進むと、あの大石内蔵助の銅像も立っていました。

 

 

 

そもそも、何故赤穂浪士の墓所が泉岳寺にあるのでしょうか?

その理由は、彼らの主君であった浅野内匠頭(浅野長矩)の墓所が泉岳寺にあったからだと思われます。

 

 

浅野内匠頭は、1701年に江戸城内で吉良上野介に対して突如斬りかかりました。

その理由は不明ですが、何らかの悔恨があったためであると言われています。

吉良は傷を負いますが、命に別条はありませんでした。

江戸城内での刃傷事件自体はそれまでも数件起こっていたようですが、

その当日は朝廷の使者を接待していたということもあり、

当時の将軍であった徳川綱吉は激怒し、浅野内匠頭には即日切腹が言い渡されます。

切腹の後、彼が埋葬されたのがこの泉岳寺なのです。

 

 

その後、播州赤穂藩はお取り潰しに合いましたが、吉良上野介には何の咎めもありませんでした。

大石内蔵助らは浅野内匠頭の弟である浅野大学を擁してのお家再興を模索していましたが、

その道が閉ざされると、ついに吉良邸への討ち入りを決行し、吉良上野介を討ち取ります。

 

(でもこの事件、吉良が少し可哀想な気もします。一方的に切り付けられ、一方的に討ち取られ・・。

特に何かした訳でもないように思うのですが。ただ、相当に恨まれていたのでしょう。

それだけ悪どいこともやってきたのでしょうか?それが浅野が斬り付けた原因・・?)

 

 

その後彼らは、吉良の首を泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に捧げ、焼香したと伝えられます。

幕府からの沙汰を待つ間、彼らは様々な大名屋敷に預けられたのですが、切腹の決定が下されます。

それぞれの大名屋敷での切腹の後、彼らも主君と同じ、泉岳寺に埋葬されたのでした。

まさに忠臣、と言ったところですね。ちなみに吉良家もその後断絶となったようです。

 

 

赤穂浪士の墓所へと続く道が、下記の写真になります。

 

 

 

さすがにお墓の写真まで撮影する気にはなれませんでしたが、

それぞれ大きな墓石であり、迫力がありました。

手厚く弔われているのだな、と感じましたね。

私もお線香を供えることまではしませんでしたが、心の中で赤穂浪士たちに手を合わせました。

これからもずっと、人々の記憶に残り続けるのでしょう。

 

 

下は帰り際に撮影した写真です。見事な松ですね。

 

 

 

 

皆さまも、近くに立ち寄った際には赤穂浪士の墓参りをしてみてはいかがでしょうか。

過去の出来事に、たまにはゆっくりと思いを馳せてみるのも、悪くないものです。

 

 

同じ日に徳川将軍家の墓所がある増上寺にも行ってきたので、

次回はそちらの記事も書きたいと思います。

 

それでは~

 

 

 

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